その昔、「千 利休」が茶花に好んで使ったとされる利休梅・・・なんてことはありません。調べてみると利休梅(リキュウバイ)が日本に来たのは明治とされていますから、この花を利休さんが知る由もないのです。

■利休緞子の梅の紋様
この花が茶花にふさわしいので「利休」の名を使ったとの話もありますが、それよりも、この花が利休緞子(りきゅうどんす)の梅の紋様にそっくりなことから、利休梅というネーミングを思いついたのではないかとも思えます。利休緞子とは「千 利休」が茶道具を入れるために用いた仕覆*の1つ。

* 仕覆(しふく)
仕覆とは茶器を入れる袋のことで、千利休が愛用の黒棗(くろなつめ)の仕覆に使用されたと伝えられる名物裂(めいぶつぎれ)が利休緞子と呼ばれ、そのデザインは縹(はなだ)色の経(たて)糸に、黄茶の緯(よこ)糸を打ち、多少ゆがみのある梅鉢文を配したもの。

■利休梅
利休梅は、利久梅と紹介されることもあり、別名バイカシモツケ(梅花下野)、さらにウメザキウツギ(梅咲き空木)とも呼ばれるようです。

その名からバイカウツギ(梅花空木)と混同される方もいらっしゃいますがバイカウツギは全く別の植物です。

利休梅という名の由来はともかく、園内の利休梅は今が見頃です。